倉敷瀬戸内ロータリークラブ
倉敷瀬戸内ロータリークラブ事務所
〒710-0803 岡山県倉敷市中島267-1 小野ビル2F北
TEL 086-466-3959 / FAX 086-466-3969
メニューバー横 会長挨拶 クラブ概要 週報 活動写真 行事予定 会員名簿 委員会構成 メニューバー横
週報


 第1244回例会 2013年2月12日(火)12:30〜


★2月度プログラム 
2月5日 (火)

ITの過去と未来  丸山昌己 会員

2月12日 (火) 奈良朝の先駆者“吉備真備公(きびのまきびこう)”
  吉備町ウエルカム観光ガイド連絡会 理事 有岡文夫 氏
2月19日 (火)

“わおん”の活動    特定非営利活動法人“わおん” 肥後由美 氏

2月26日 (火) IMについて  三宅英和IM実行委員長

★前回の記録(2月12日)
会員総数35名(内出席免除者6名)  出席者24名(内免除者5名)
出席率70.59%  make-up後出席率91.18%

★ビジター
倉 敷;相田君

★会長報告

 皆さん、こんにちは!本日は嬉しいお知らせを致します。今日から新しく綿谷正人様にご入会を頂きました。有難うございます。末永く宜しくお願い致します。


<スポンサー 香川会員>

 本日より、綿谷様が入会されますので、皆様宜しくお願い致します。綿谷様は、絵画教室で長い間のお付き合いで、昭和23年大阪の富田林生まれです。平成3年から白楽町でブティックとインポート商品を扱っておられます。今、セールをされていますので、奥様お誘い合わせの上宜しくお願い致します。


★幹事報告

 綿谷様のご入会を歓迎致します。改めて歓迎会を計画させて頂きたいと思います。
 今週末2月16日、17日東京に向けて親睦旅行に出発致します。朝6:13 倉敷駅発。岡山から新幹線のぞみで6:40出発致します。ちゃんこ鍋も頂けると思います。楽しんで行って来ますので、宜しくお願い致します。


★IM実行委員会(三宅委員長)

 次週19日(火)例会終了後、アイビースクエアに於いて打ち合わせをしたいと思います。関係者の方は宜しくお願い致します。


★社会奉仕委員会(原田委員長)

 恒例の「桜の植樹」を3月3日(日)に決定致しました。その後の予定は後日連絡します。


★スマイル(ニコニコ)
香川; 綿谷正人様のご入会を心より歓迎致します。今後共末永く宜しくお願い致します。
塚村; 本日、例会の卓話に、有岡様をお迎え出来ました事に感謝致します。
会員一同; 本日の卓話に有岡様をお迎え出来ました事に、感謝致します。又、綿谷様、我がクラブにご入会頂きまして、誠に有難うございます。

★プログラム
奈良朝の先覚者吉備真備公  <真備町ウエルカム観光ガイド連絡会 理事 有岡文夫 氏>
 

 皆さん、こんにちは!本日はお招き頂きまして、有難うございます。
 今日は、奈良朝の先覚者 吉備真備(きびのまきび)公について、お話させて頂きます。
 ☆ 「吉備真備」と書いて「きびのまきび」と読んでいますが、何故なのでしょうか?
  ・元々、本名は「真吉備」と言われていたとする説が有力です。読み方は「まきび」です。
  ・吉備公は52歳の時、下道真備(しもつみちのまきび)から「吉備」の姓(かばね)が与えられました。
  ・古代の吉備は、備前・備中・備後・美作の総称で、今の岡山県と広島県東部地方に広がっていまし
   た。5〜6世紀の頃は、「吉備王国」と言われるような大和に対抗する程の勢力を誇っていました。そ
   の中の備中国下道の郡の長官クラスの豪族の出身であった吉備公が、その数十倍の大きさの「吉
   備」を代表する立場になったのです。
 ☆ 吉備公の青春時代
  ・16歳の時、和銅3年、都が藤原京から平城京へ還りました。
  ・吉備公は父に連れられ、藤原京から平城京へ住居を変え、新しい都で生活を始めました。
  ・吉備公の父親の位が低い上、地方豪族出身の吉備公が大学寮に入るのは容易ではなく、父の真面
   目な勤務ぶりや吉備公自身の勉学への熱意が評価されて入学が認められたようです。
  ・22歳の時、優秀な成績で大学寮を卒業、最下級ながら従八以下(じゅうはちいげ)の位が授けられまし
   た。
  ・22歳の時、第八次遣唐留学生に選ばれ、大使・副使・書記・留学生・通訳・医師・調理人・船を操船
   する船員等、総勢450名で4隻の船に分乗し大阪港を出発しました。
  ☆ 吉備朝臣真備へ
  ・天平8年(746年)10月、吉備真備公は、新しく「吉備」の姓(かばね)を与えられ、これまでの「下道朝
   臣真備(しもつみちのあみそまきび)」から、「吉備朝臣真備(きびのあみそまきび)」へと変わりました。
  ・備中国の一つ郡の姓に過ぎなかった「下道」から備前・備中・備後・美作の総称である「吉備」へ姓が
   変わった事は古代の広大な「吉備」を代表し、継承する事を意味します。真備公52歳の時でした。
 ☆ 右大臣に
  ・吉備公は、天平神護2年(776年)10月、称徳天皇の下で遂に右大臣になりました。吉備公72歳の時
   でした。
  ・吉備公は、藤原氏や大伴氏のような中央貴族でなく、父親は都の警護にあたる位の低い武官で、し
   かも地方出身でした。そんな吉備公が政界ナンバー2という右大臣に就任し、位も正二位に昇った事
   は、当時としては誠に異例の事でした。
  ・以後5年間に亘って右大臣の重積を務め、天皇を補佐すると共に政界のまとめ役として活躍しました。
 ☆ 故郷での大領
  ・吉備公が右大臣を辞任した後も、大領の職はそのまま継続されたと考えられる事から亡くなるまでの
   4年間を、故郷で過ごしたと推測するのです。
  ・真備町の妹の小田川河畔には、上面が平らの大きな岩があり、吉備公が晩年この岩の上で中国の唐
   から持ち帰った琴を弾いて、余生を送ったと伝えられています。
  ・真備町では、この言い伝えにちなみ、毎年中秋の名月の頃、岩の上で琴と尺八を演奏し、吉備公の遺
   徳を偲ぶ「弾琴祭」が行われています。
  ・吉備公は宝亀6年(775年)10月2日、81歳で亡くなりました。


 

戻る


四つのテスト

 
真実かどうか  みんなに公平か  好意と友情を深めるか  みんなのためになるかどうか

HOME|リンク|ご意見・ご質問|
(C)2009 Rotary Club of Kurashiki Setouchi All rights reserved.